『アンチ・ピングドラム』 見ているだけでイライラする理由 その1

【前書き】*とばしていいよ

 今期覇権アニメ有力候補の『ピングドラム』は幾原(世代によっては富野や庵野を超えるほどの権威)がひさしぶりに監督をやっており、アニメ批評系のブログを廻ってみる限りだと芸術的だのデザインセンスがどうだのと賛嘆の声ばかり、なのでdisります。作画オタとかもう駄目、全然みてらんない。ああいうオタッキーってどうして自分に鞭打つような苦行で恍惚感を得られるの?作画オタはマゾヒズムの跪拝狂。メンヘラがよくするような、飲んでる薬の強さと量で優越感ゲーム。あれと大差ない、どれほど昔のつまんない作画アニメを見ていて、そしてどれだけアニメーターの名前を知っているかで競い合っている。
 作画に創造性はない。アバンギャルドもいない。体系化された歴史もない。アニメはただのキッチュです。――なので、僕の以下に続く考察は初めから無意味です。その上、不誠実でまともに取り合うものではありません。イチャモンです。ただ僕の無能に対するエクスキューズではなく、アニメの抱える問題によるもので全部アニメが悪いんです。僕のせいじゃありません。



【第一章:アイコン化されたモブが糞】

 恐らく、注目を集めているのはバンクシーン(曲が流れて変身するあれ)とアイコン化されたモブ(非常出口っぽい白いあれ)あたりだと思います。バンクシーンも糞なのですがこれはまた今度disります。今回は後者についてのdisです。
 で、オタクの人ってあんなのをどう誉めているわけ?と思ってググったりしてみたのですが「ゼ・ン・ゼ・ン」パーフェクトなまでに意味がわかりませんでした。なので勝手に推察します。


    ・検証その1:簡素なモブによって主役が際立っている?



例Aシーン

 この場面ではモブが背景として3人を前景に押し出すように働いています。意図的に絵を簡素なものにするパターンはほとんどこれ。価値を低く置いて相対的に他方を高めるためです。カメラのボケとか想像してもらえればわかるはず。
 確かにこのシーンであればオタクの主張する「際立たせるため」は真っ当で、平凡と罵ることはあってもわざわざこうしてdisるほどのものではありません。しかし本当に「際立たせるため」であれば以下列挙する例に対しても同様のことが言えるはずです。


例Bシーン

 ……モブ邪魔じゃない?
ぬっぺらとした質感が勝手に際立ち、ボケによる軽減も行われていない。あまりに異質で、相対的に見れば普通の質感として書かれている主役や背景よりも明らかに強く前景に出てしまっている。もはや等価ですらない。たしかに画面の比率としては主役の方が大きく扱われているものの、それでもエクスキューズにならない"ウザさ"がある。気持ちよく主役を見たいのに視界の端でモブが邪魔をする。絵の具が捲れてキャンバスが剥き出しになっているような不快感。モブはいらなかったはずでは?

 また簡素にして他方を前景化させる目的であれば別にアイコンにまで還元させる必要ってないのでは?それでもアイコンにしているのだから何らかの深〜〜い意図があるはず。それも検証する。





    ・検証その2:雑踏感を演出するため?



例Cシーン 




 両方とも似たような感じですが、話数を跨いでまで使われている方法ということを強調してみました。例Bシーンについても主役が雑踏の中で動いているというような演出意図、と読めば理解は可能です。他にも例はあります。



例Dシーン


 モブの行列と思って安心していたところ不意に現れてハッとさせる。そういう意図のように思えます。見ていて確かに感動的だったのですが無意味です。糞です。より根本的なアニメ論になるのでここでは軽く触れるだけですが、この「演出」自体になんの価値があるのかという話です。




【第二章:演出ってなんだよ定義から徹底的にやってみろよ糞糞糞】


 前述のように審美的には最悪で、視線をモブにひっぱられ安心して画面を見てられない。フラストレーションが溜まってくる。アニメにとって固有性であるはずの絵を犠牲にしてまで「演出」という名で語られる「脚本(=ストーリー)の最大化」は価値のあることなのか。そこからまずは議論を進めなければならない。そしてその上で、この演出技法は体系内でどのように位置付けされるのかを語れなければならない。例えばモブを犬カレー風にしてみる演出があったとして、この時の二者間での優劣をどのように付けるのか。
 優劣などない、と相対主義を主張するのであればそもそも人間の認識能力に反しているし、自分はこのアニメに萌えただけ、という意味であれば普遍性はない。なのでその「素晴らしい」という価値観を他人が共有してやる必要もないし望んでもいけない。良いという判断ではなくカレーを食べて「辛い」と言ってるだけ、レモンを食べて「酸っぱい」と言ってるだけ、シャルを見て「萌える」と言うように作画を見て「素晴らしい」と言う。なので演出がどうとか言ってる人は演出に対する「萌え豚」なのです。

 お前らがやってることは批評じゃない、ただの感想だ!
 作画豚dis・演出豚disについてはまた今度、深く掘り下げようと思います。あとまだピンドラについて諸々のことdisります。




【補論】


 絵画では視線の誘導という概念があります。例えばこの岡本太郎の有名な絵『燃える人』を見てください。

http://www.new-york-art.com/old/taro-Men-Aflame.php

 この絵を見たときに、たぶん左下(それか左上)の「黒」が気になると思います。人間はそうできているのです。中央の刺々しい黄や赤はたしかに鮮やかなのですが「黒」はそれ以上に強い色であるため視線を分断し、自分の「黒」と離れた「黒」とで視線を結びつけてしまいます。こういった視線の誘導が巧みなほど「気持ちの良い絵」になるのです。ちなみに岡本太郎はそういう気持ちよさから脱するため、わざとこんなに見ていてイライラする絵を描いてます。まるでピングドラムを見ている時と同じような不快感ですよね。(注意:僕と同じ感想にならなかった人は人間じゃありません)
(あとアニメにもっと気持ちよくなれと言ってるわけじゃありません)




取り急ぎ更新
あとで書き直すかも☆