☆★☆ 末代葉児のなぜなぜ質問コーナー ☆★☆

まず、ネタ晴らしです。

世界のヘイポー謝罪文まとめ(ガキの使い
http://sample.kakito.me/proverb/heipo-apology/

わかる人にだけわかるというような普遍性の無い表現はこれほどまでに酷いことなのだという例として使ったのです。本当です。
これをシミュレーショニズムと言います。
ギャスパー・ノエがそう言ってました)


それではこのコーナーでコメント欄に気まぐれで答えようと思います。
選考基準で大事なのは3点、言葉の定義を大切に、思いやりを持って、エンジョイ&エキサイティングです。
さぁ〜それじゃあラジオの前のみんな〜!
準備はいいかな?
張り切っていってみよう☆
まず最初のおたよりは〜〜〜!(暗黒微笑)


H 2011/08/18 18:20
キメこなという創作物そのものへの侮辱が問題なのではなく
キメこなが梅ラボの創作物であるという誤解を意図的に招かんとした(そう見られても仕方ない)態度が問題なのです
それを世間では「パクリ」というのです
また、パロディやオマージュをパクリと一緒くたにして語ることが、きわめて暴力的な行為であることは指摘しておきます

そんなものの違いなんて知らないし興味ありません、
定義が曖昧なので使えません。
なのでそもそもその混同とかもありえません。
初めに言ったように大切なことの1点目です。
また、著作権法など法や倫理について説明すのは今度の"商業性"についての記事にします。


名前 2011/08/18 19:06
前回の記事と共に読ませていただきアートとオタクについてとても勉強になりました。
突然ですいません、少し質問をさせてください。

まず今回の記事の引用なのですが
>力のある古参オタク教祖が「良い」と決めたものが密教的な共通理解で信者たちも「良い」と無理矢理に感じたことにされる。無根拠をそのまま正当化し絶対視するとはそういうことだ。一部の人間にだけわかるように作られ、わからなければセンスがないと断じる。それに比べればアートは誰にでもわかるよう普遍性を求められ、その「コンセプチュアル」の理路を追えば誰にでも理解し得る。

という部分
これを読んで思ったのですが、
アートの普遍的ルールも視点移動についてなど統計学や科学的な検証がなされたわけじゃない感覚的な部分に言及していたり、
わりとオタクの小さな密教ルールと変わらない非論理的な部分もあるように思うんです。
科学がアドホックな仮説を否定するような明確な実験ルールがあるからこそ疑似科学を否定できるように、アートにもそういう仕組があるんでしょうか?
もしないのだとしたらオタクの小さな密教をより拡大しただけで、巨大な宗教がアートということになってしまう気がするんです。
門外漢でとんちんかんな質問だったら本当に申し訳ない。

視線の誘導などは表層の問題なので、アートで役に立ったのは大昔のことだけです。
しかし現代でもこういう絵画的技法が消えたわけではありません。
もしも絵画を描くのであればこの技法について参照した方が単純に出来が良いのは変わりません。
それが価値の本質にはならなくなったという話です。なぜなら表層なので。
ヒエラルキーの問題です。
上位の概念に「コンセプチュアル」、下位に技法やディテール。
感覚的でしかない基準だったから、デュシャン以降は下位に置かれたというわけです。


satis 2011/08/19 04:18
>主観が紛れ込むのであれば、それは純粋では無いので基準として使えません。要するに持ち主によって誤差の出るような温度計のことを果たして温度計と言っていいのか、純粋な温度の計測には使えないのではないかという問題意識です。なので主観を超えたところ、「観念」に基準がシフトします。

観念が主観の影響を受けない絶対的な価値基準だなんて本気で思ってます?
純粋に観念的な存在である「神」を巡って、つい今日まで殺し合いしてるのに?
そんな幻想は百年前に卒業するべきでした。
デュシャンはとっくに卒業してチェスに逃げたんですけどね。

ついでに言うと「理性」なんてのも信じないほうがいいですよ。
戦争っていうのは徹頭徹尾理性によって組み立てられたアートです。

「商業性」を持ち出すなら、あなたは大嫌いな萌え豚のケツの穴を舐めざるを得なくなるでしょう。オタク文化を支えてきたのはその萌え豚たちなのだから。
そしてあなたの大好きなモダンアートが、いかに日本人の心を捉えていないか、つまり、誰もそんなもの求めていない、売れない表現かってことを骨の髄から知るべきだ。
卑しくも「商業」という言葉を混ぜ込むのであれば「商道徳」というものを考えるべきだろう。商業は錬金術ではないし、盗品売買でもない。虚業家が手慰みに弄んで良い言葉ではない。

キミが萌え豚と軽蔑するオタク文化とはね、実態のない芸術と、それで生きるしか無い芸術家達を、「実業」として現実に存在させるために生まれたものだ。
幼稚な妄想で全能感に浸るだけなら誰でも出来るよ。それはアーティストとは呼ばない。


「神」は定義が確定していない単語なのだから、観念かどうかとか関係無しに主観的で曖昧になるのは当然です。
それかもしそういう意味でなくこのコメントをしている人の頭は実はとてもよいのだろうという好意的な解釈に基づき、例えばカントの「悟性」について議論している日本人とアメリカ人がいたとしてその間で「悟性」についての二人の認識は主観的で誤りを含んでいるのではないか、という問題意識だった場合にも一応は言及しておきます。
すっごいめんどうなのでやっぱりやめました。
適当に分哲でもポモでもいいので読んでください。
たぶんググっても答え書いてあります。
「反復可能性」「イデア的同一性」がポモンセンスへの検索ワードです。
初めから言ってるように定義付けをしっかり行ってから言葉を選んで批判しましょう。

後半はいつもの浪花節みたいなものなのでスルーです。
やっぱり言及します。
どう読んでもオタクは前の記事での論旨と同じように表現根本への問いかけを行ってこなかった「怠慢がある」と言っているようにしか聞こえません。
で、日本人自体がそういう頭を使うのが苦手だし理解すらできていない、と。
その問題についてはモダニズムの不在として指摘済みで、改めてまた批判しろということですか?それとも自己紹介?
あと商業ではなくて「商業性」です。商行為また利害関係や倫理的振る舞いまで含んでラディカルな性質の「商業性」に還元しています。
倫理的な意味での戦争や、あるいは商道徳のようなもの、またこうしたdisや煽りも含んでいます。
あとどうやらその「アーティスト」は現代アートにおけるアーティストという概念とは違うようだから、オルタネティブになるような現代アート以上の体系を持った「真・芸術」を作ってくれれば僕もその主張に同意しますよ。
二度目です。定義付けをしっかり行ってから言葉を選んで批判しましょう。




ちょっとだけ愚痴コーナーです。
やっぱりやめました。
今後は少しまじめにやろうと思います。
クリエイター系の人とかにフォローされてその上で興味をもたれると、
しかもその視線が普通に冷静だったりすると居心地の悪さがあるのです。
やめて!そんなこと言わないで…!まるでわたし一人がバカみたいじゃない…
いいや!何度だって言うさ!僕にとって君は興味深い!(抱きついてくる)
えっ… やめてよっわたしっこれじゃ本当にっ… ぐすんっ…(胸に顔を埋める)
やめないよ。ほら、触ってごらん、これが僕の本当の気持ちだよ(手を取り股間へと)
あったかい